女性起業家・吉野真由美の営業パワーアップ塾 励まし系

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2011年03月13日

仙台・超巨大地震の被災から33時間で奇跡の生還!

みなさまご心配をおかけいたしました!

吉野真由美、ただいま仙台から東京都の自宅に帰宅です!

涙、涙、涙です・・・

怖さで泣き、嬉し泣き、感謝で泣き、ほっとして泣き・・・

そして、テレビを見て・・・うろたえました!

私が約14時間前にいた仙台はこんなヒドイ被災地だったとは。

安全なところを抜けてきましたので、

荒々しい地震と津波の爪あとは

実は目の当たりにしていないのです。

よそ者の私が・・・

よく、仙台から無事に東京にもどってこれたな、と。

テレビで流される車や家の様子を初めて見ながら、今頃になって

ワナワナと震えてきました。

さて、今回どうやって私が、被災した仙台から、

地震後たったの33時間で

元気に東京の自宅に戻れたのか???

忘れないうちに記載しておきたいと思います。

~~~~~~~~~~

仙台のある大きな団体向けの講演は

3月11日(金)15時スタートのはずでした。

仙台のあるホテルにて開催でした。

14時45分に準備を完了した私は、

「では洗面所にいってきます」といって、舞台を離れました。

お化粧直しをしようと鏡を見た瞬間、

携帯がヘンな音を立てました。サイレンです。

その3秒後、いきなり激しい横揺れが!

慌てて洗面所から出ると、ロビーで講演を待っていた人が、

左右の揺れに耐えられず、床に這いつくばっています。

私は、まず上を見ました。何か落ちてこないかな?と。

堅牢なシンプルな作りの良いホテルでした。

「ジャンでリアはない。何も落ちてこない、大丈夫!」と

思い、落ち着きました。

揺れは、30秒?60秒?

まったくおさまる気配のない地震は、相当長く感じました。

最後の方では、「パン!」とホテルの壁から爆発するような

破裂音がしたことを覚えています。

そして、停電・・・

やっと立てるようになった私を、

講演の担当者が見つけてくれました。

「大丈夫ですか?」

実は、2日前の3月9日も岩手に来ていて、

私は、東北の地震に慣れていました。

「この前もありましたよね、こういう地震。大丈夫です!」と

あっさり答え、

「講演内容はみなさまに配布できるようにきちんと準備します。

みなさまの安全を最優先に考えてください!」と言いました。

もちろん、ホテルの外にみんなは脱出し、講演は中止に。

担当者が「この地震は2日前のとは比較になりません!

新幹線は不通になりますよ!」といいましたが、

私は、この時点ではまだタカをくくっていたのです。

「2日前の地震のときは、遅れたけど、新幹線走ってました。

まずは、私、仙台駅にいきます!

早く新幹線に乗ったほうがいいです!」と、タクシーを拾いました。

この判断がよかったのです・・・

まだ地震発生後、20分後くらいのことでした。

しかし仙台駅に近づくと異様であることがわかりました。

駅の電気が消えて真っ暗。

そして、何千人もの人がロータリーに溢れ、

みんな寒そうに震えています。

私は、直感しました。

「ここでタクシーを降りるとすべてを失う!」と。

居場所がなくなる!、

寒いところに放り出される!、

移動の手段がなくなる!、

道案内がなくなる!

だから、

「今、絶対にタクシーを降りてはいけない!」と思いました。

頭を必死に働かせどうしたらいいのか1秒考えました。

とっさに出た言葉は、

「私、自分で運転して東京に帰ります!

どこでもいいからレンタカー屋さんに連れて行ってください!」

でした。

 

が、到着したニッポンレンタカーは、

停電・システムダウンのため車を借りられず。

次に私が言った言葉は、

「運転手さん!お願いだからこのまま私を東京まで送って!

お金はきちんと払うから!」でした。が、

「いやぁ、とてもじゃないけど自信がない・・」

「じゃあ、私が途中で運転代わるから!」

「・・・会社に戻れば、誰か東京に行ってくれる人が

いるかもしれない・・・」

「じゃぁ、御社の本社に向かって!!」

仙台駅から車で20分くらいのところにある

タクシーの本社までいく道すがら、

歩き続けるたくさん人や、ボコボコに陥没した道路をみました。

停電して真っ暗なタクシー会社の本社につき、

「これから東京まで帰りたいんです!

東京が無理ならせめて那須でもいい!

誰か運転してくれる人いませんか!?」と私。

でも、責任者が、

「いやいや、それはさせられない!

ここを離れたら、もう戻ってはこれないよ!!

うちも何台も行方不明になってるんだ。

津波も出て、空港も道も水没してるんだ!」

・・・・

「じゃぁ、東京に帰れないんなら、

私、行くところがないんです!

ここで待たせてもらえませんか!?」とお願いしたところ、

なんとありがたいことに、

「あぁ~、いいよ!

困ったときはお互い様だ!」と、責任者。

「ありがとうございます!あぁ~よかったぁ~!!」と私。

「すぐに、食べ物を買ってきな!」と言われて見てみると、

なんと隣がコンビニでした。

ありったけ持てるだけ飲み物食べ物を買い込んだところ、

再度大きな揺れが・・・!!

コンビニの外に飛び出した私に、

今度は雪が降ってきました。。。

その直後にコンビニはクローズ。私が最後の客となりました。

「電話しなくていいの?公衆電話はそこだよ!」と。

慌てて小銭を出し、仲間に電話を。

声が聞け、ちょっと安心!

この時点でまだ日が出ている16時30分くらいでした。

つまり私は、相当早く避難所に到着していたことになります。

「今、バスを温めてあげるからね。

落ち着くまで中にいたらいい!」と、責任者。

私はこの時、

「夜はここで越すんだな!この人たちを頼ろう!」

と直感しました。

「ありがとうございます!ホント助かります!」と礼を言い、

食べ物飲み物といっしょにマイクロバスに乗り込み

自分の居場所を陣取りました。

その後、タクシー待ちの人が、何人かバスに乗ってきて、

しばらく寒さをしのいでいましたが、

みんな、お迎えの人が来て、帰って行きました。

夜9時頃にはバスの中は、私ひとりになりました。

でも、幸いなことに、ここはタクシー会社!

「うちは24時間、誰か人がいるからね。

何かあったら言ってきていいからね!」

この時点でタクシー会社は、

行方不明や、水没したタクシーの安否を案じていたのでした。

バスの中で暖をとることができ、

食べ物、水、トイレがある・・・!

夜中、とにかくそこに人がいてくれる!

「私はなんて幸せもの!」と、感謝で涙がこみ上げてきました。

このタクシー会社の本社営業所で避難しているのは

結局、私ひとりでした。

夜遅くまで道は渋滞していました。

完全に停電していて、本当に真っ暗。

外に出ると、明るいのはお月様だけ・・・

ものすごく星が綺麗で、たくさん見える・・・

ドコモとソフトバンクの携帯と、

PCを駆使して、ネットにアクセスしました。

メールがつながらなくても

Facebookが比較的ラクにつながりました。

私がコメントすると、多くの人が励ましのメッセージを

即座にくださいました。

どれだけ勇気づけられたことか!!

110311地震夜中

(↑バスの中でひとりで夜を明かす私・・・ちょっと青ざめてます)

停電で充電ができないため、なんとか電源をもたせるべく

3時間ごとに20分ずつ使う、みたいな感じで

仲間と連絡を取り合いながら夜を明かしました。

事務局長の佐々木さんが

19時に埼玉を出て、私を迎えにくるため仙台に

向かっていることがわかりました。

「朝5時には仙台到着か?」

佐々木さんは徹夜で運転して向かってくれています。

私も体力を持たせるべく、

できるだけシートに横になり、

車内でラジオを聞きながら夜を明かしました。

子供の頃のことを走馬灯のように思い出し、

これで最後かな~とか、

明日、ヘタをすると二次災害に巻き込まれるかも・・・

など、悪い想像も出てきて・・・

そのたびに、

家族や親しい人の顔を思い浮かべ、

楽しかった前日のゴルフのことを思い出し、

「まだまだ死ぬわけにはいかない!」と

気持ちを強くもつよう、くじけないよう努力していました。

余震も激しく、

なんども何度もバスが揺れます。

「でも、バスだから倒壊はないか!?」と安心していました。

そして、40回以上の余震の果てに夜明け。

仲間との約束の時間に

PCをあけ、徹夜で車を飛ばしている佐々木さんの動向を確認。

110312地震朝

(↑避難しながらマイクロバスの中で朝を迎えた私、元気そう)

携帯はつながりませんが、

PCからFacebookに入ったり、

みんなにメールをしたり・・・

なんとか交信することができました。

みなさまからたくさんの応援のコメントが

どれだけ心強かったか!!

私はひとりじゃない、みんなに見守っていてもらえるんだ!

そう思うと孤独もふっとびました。

買いこんでいたものを食べ、ラジオを聞き、

みなさまからの心配メールに返信をし、

そうこうするうちに、午前11時に。

日曜日の午後の講演が心配になってきました。

「そろそろ帰らないと日曜日午後の講演に間に合わない!」

と、ハラハラしていると、佐々木さん到着!

「大丈夫!?徹夜で運転してきたでしょ?疲れたでしょ?」

という私に、佐々木さんは

「吉野さんの顔を見たら元気になりました!」と

笑顔で言ったのでした。

そして、

「上りはまだそんなに混んでません。

すぐにここを出ましょう!」と。

私はタクシー会社(稲荷タクシー本社営業所さま)に

お礼を言い、後にしました。

それからは山間部を通りぬけ、

たくさんの倒壊をみながら、

群馬経由で、関越、首都高・・・

東京駅に停めてあった自分の車を迎えに行き、

深夜1時前に自宅に到着!

問題なさそうな家を見たとき、泣けました。

家の中も何も壊れてませんでした。

液状化現象などもありませんでした。

停電が長く、ずっとテレビを見ていませんでした。

テレビから目に入ってくる信じられない光景!

なんだ!?これは!?

家や車が津波で流される壮絶な光景・・・

 

「私、こんなところから帰ってきたんだ・・・」

奇跡の生還としか言いようがありませんでした。

佐々木さんが言った言葉を思い出しました。

「11日の夕方、すぐに連絡がとれ、

すぐに決断できたのがよかったです!

私もやったほうがいいと思ったことは、

すべてやろうと思いました!

吉野さんも、「お願いします!」と

すぐに言ってくれました。

そして、手配して、すぐに出ました!」

やったほうがいい!と思ったことは

すべてやる!!

すぐにやる!!

これが、今回、私が被災地から

一切の怪我もなく、無事に帰りつくことができた

ひとつの要因かと思います。

また、仲間と連絡を取り合う!

相談する!

人の力をかりる!

頼りあう!

ことの重要さも実感いたしました。

そして、見ず知らずの私がお願いしたときに、

「困ったときはお互い様だ!」といって、

快く、マイクロバスを温めて、休ませてくれた、

稲荷タクシー本社営業所のみなさまの心意気、考え方に、

心から感謝申し上げます。

おかげ様で、一切寒さを感じることなく、

安心して、被災地の一夜を明かすことができました。

また、1秒先、人間何があるかわからない!

人生の一瞬、一瞬を大切に楽しんでいきよう!

生きていることに感謝しよう!

そんな教訓を得ました。

そして、最後につけ加えておきますと、

この私が一夜を過ごさせてもらった

「稲荷タクシー 本社営業所」の場所とは、

ニュースで

「200~300人の死体を発見した」場所と、

目と鼻の先であった、ということ・・・

「ほんのすぐそこなんだよ・・・

うちも道路一本向こうだったら、たいへんなことだった・・・」と

聞かされたとき、もう声も出ませんでした。

本当に寸差の違いが人生の明暗を分ける!のです。

みなさまのおかげで、今ここにこうして、私は生きて居られます。

本当にありがとうございました。

私に関わるすべての方に深く感謝申し上げます。

どれほど礼を尽くしてもつくしきれません。

涙が止まりません。。

本当にどうもありがとうございました。

投稿者 吉野真由美 : 02:16

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